全国青年印染経営研究会

 

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全染研の発足まで

竹内 宏(故人)
「全染研 十年の歩み」 より

私は昭和四十七年四月十八日、岐阜市吉田旗店吉田稔様を訪ね、かねてお互に願って居た我々の集まりを作ろうという事について打ち合わせをして、いよいよ会を作るべく第一歩をふみ出す事に致しました。
 そして四月二十五日、前から会結成について同志でもある岩手県花巻市伊藤染工場、伊藤益吉様を訪ね、今迄の情況説明をして、発起人として立ち上がっていただく事をお願いしまして、又、各地にて発起人としては誰々と打ち合わせを済ませて、これでスタート台に立つ事になりました。
 木綿を卸して廻るという別の立場から印染の世界に身をおきまして、東海四県旗染業組合にお招きを度々いただき、吉田旗店社長吉田忠夫様にお会い出来まして、高い御識見に基く業界への御立派な御姿勢に接していろいろ御教えをうける。
 岩手県印伴天紺染協同組合(現在岩手県染色協同組合)理事長伊藤伝蔵様に毎月お会いして、業界の指導者としての大きなお導きをいただき、尚各地の業界の先輩達のお話を聞きまして、そこにはそれぞれその土地流の発展が個々に立派に流れて居り、古い御家柄と共に、これが文化といものかとも思える程にしっかり根付いて居られますのには、敬服しました。
 しかし此のあり方は織物に例えますと、経の糸になって業界の発展も考え、業界をまとめてゆく立派な人達はきら星の如く沢山居られますが、誰かが緯の糸になる人が必要である事に、皆様のお言葉の内に気づきました。
 そんなことを思い乍らか、東海四県旗染業組合、北関東注染連盟協議会(中川善一郎様)に御願いしまして、同じ考え方の人達と総会に出席させてもらいお話を聞いて勉強を始めました。
 岐阜市の染業者の若い人達と仙台市の業界を訪問したのは、昭和四十四年八月二十一日でした。吉田稔様・佐藤昭治郎様のお骨折は、大変なものでした。
 昭和四十五年一月二十七日には、高橋哲男様と話を進めて南関東印染業会を組織して、東京都の南部を中心として福島県・神奈川県・埼玉県・岐阜県と結んで、ささやかな活動も始めました。
 昭和四十六年二月二十一日〜二十二日、宮城県松島海岸大観荘で東北染色ブロック懇談会を仙台染色協同組合主催で、佐々木一郎様・細谷定一様・佐藤多一郎様の御努力で開催の運びとなり、又それをはずみとする様にして同年八月九日〜十日、宮城県鳴子温泉鳴子ホテルで染色業者全国懇談会が、九州・四国・関西・東海・北陸・関東・東北と全国から集り、その数九〇名の参加に依り、盛大に仙台染色協同組合主催で開かれました。
 その時もお手伝いする栄に浴しました。
理事長細谷定一様の準備の御苦労も何のその、飾られたお酒四斗樽の鏡を威勢よくわり、満々たる美酒をくみ私に乾杯の音頭をとらせていただいた事、酒のうまかった事、今も忘れる事が出来ません。集まった人達は、永い間別れて居た兄弟にでも会ったかの様に皆喜々として酒をくみかわし、話に花が咲いて夜の過ぎるのも気がつかぬ程でした。これ程皆様が同業者同志で会いたかったという事は、同じ事を仕事として持って居る者の親近感の一つの現われか?と、心にしみじみわたりました。
 翌朝には皆再会を約し乍ら手をにぎり声を大にして、又の再会の日を楽しみにし乍ら再会を約す姿が、あちらこちらに見られました。
 戦後・戦前とは異なる世の中で、種々御苦労なさって業を押進めて来られ、気がつきました時には、囲りに止り木みたいなものが無い事がさみしかったのではないでしょう 自分の歩いて来た道はこれで良かったのだろうか?何処かへたち寄って友を得て将来を語り合いたかったのではないでしょうか、でも一度誰れかに聞いて見ようじゃないかという事ではないでしょうか。
 染料の進歩及び不足があり、排水の公害の問題・後嗣者の問題も批の頃より話が出始めて居りましたので、尚さらだったでしょう。
 しかしこんな大きな問題の中へ小生如きが顔を出すのは、結局皆様に迷惑をおかけするのが関の山とあきらめて居りました。
 そして誰かがおやりになるだろうと思って居りました。半年が過ぎた頃、業界の先輩社長の皆様達から種々御理解のお言葉を頂き、やってみろという話が出始めたのです。
 とにかく若い人達の勉強の場を作り、皆と会う事から将来に備えて考える事位で始める事に、話の口火を切ったのです。
懇談会位のものが出来るかと思って話を始めました処、我れも我れもという事になり、またたく間に五〇名を越す事になり、関西からも参加という事にもなり、正式な会設立の準備に入りました。
 昭和四十七年六月十一日、静岡県修善寺温泉旅館新井にて、開催の東海四県旗染業組合の総会におじゃ朝まさせていただくべく、静岡市望月様・八木様にお願いして御了承いただき総会終了後、六月十二日会場をお借りして第一回発起人会を開いたのです。出席者数二十八名でした。
 お名前は、左記の通りです。
    ○竹内  宏
     藤川文男(大阪)
     北田良造(大阪)
     河野安弘(大阪)
    ○三原宏巳(大阪)
     小松伊太郎(大阪)
     土山一郎(京都)
     谷口泰一(京都)
     近藤孝一(京都)
    ○吉田 稔(岐阜)
     吉田歳男(岐阜)
     若林建志(静岡)
     鈴木俊夫(静岡)
     岡部直良(静岡)
     高林保巨(静岡)
    ○福安 洋(愛知)
     山口嘉一(山梨)
    ○高橋哲男(東京)
    ○林 満治(東京)
    ○黒沼成身(東京)
    ○山口安太郎(東京)
    ○相澤東一朗(埼玉)
     中村仁太郎(群馬)
    ○相川悦孝(群馬)
     渡辺達夫(福島)
     小原善忠(岩手)
     安倍善治(岩手)
    ○伊藤益吉(岩手)
 前記二八名の内、○印の方と森田繁様(埼玉)・遠藤正三様(東京)・中川善一郎様(栃木)・佐藤昭治郎様(宮城)を加えて世話人会を作り、昭和四十七年七月四日東京東海銀行上野支店会議室にて世話人会を開催、その間各地でも会合を重ねて創立総会を、昭和四十七年九月三日開催の運びとなりました。
 創立以来十年間、年令の違う私との出合い。会員の皆様本当に御苦労様でした。私と会員の諸君と合う筈が無いという事を大前提にして、合う処を見つけてやろうという事で進めて来ました。
 会長始め役員の方々、会員の方々、雨宮先生、佐藤先生、本当に有難うございました。御礼申し上げます。
 今十年を顧みると、仕事の仕易い様にしてくれたり、身体の悪かったときにいただいた御厚情全く私情で申訳有りませんが、研修会の事、総会の事、旅行の事共々にうれしかった事として思い出されます。
 とにかく私達は、良いと思う事を良いと信じてひた走りにやって来ました。これで良かったと思います。
 この十年を一つのくぎりとして、次の十年及び将来に向かって若い人達は、新しく考えて進んで下さい。
 

(竹内宏商店 店主)